昨年末に続き、突然のご不幸があった。
「大湾のおやじ」。
順ちゃん始め仲田研によくしてくれた人だった。
少し古い仲田研のメンバの三味線は全部おやじが沖縄から仕入れ、調整したもの。
昨年8月の発表会の打ち上げにも参加してくれて、笑顔を振りまいていた。
一年ほど前だったか、1人でふらっと店に来られた時に「一緒に弾こう」と、かぎゃで風や「松竹梅はやったか?・・・じゃ、梅までやろう・・・」など、差し向かいで弾いたことが忘れられない。
また去年の11月頃には、来年の85のトゥシビを祝うんだと、自ら電話で、しかも一年も先の予約をしてきたと、栄子さんが笑っていた。
アイデアマンで、三味線に蛇皮を張るときのジャッキを考案したとか、象牙の唄口を量産して沖縄に卸し、それらは今でも三線屋が使っているらしい。
また古典の最高賞に受かるまで10回近く通い続けた執念の話など、話題には事欠かない人だった。
お通夜の祭壇には写真と共に三線が飾られていた。
大湾のおやじ、ありがとうございました。安らかに。